episode 1

千代田区初代区長 村瀬清氏

千代田のさくらは氏の熱い想いから始まった

千代田区の初代区長 村瀬清氏とはどのような人だったのでしょうか。

岡村は、さくらの語り部として活動していた故新堀栄一氏(元区役所職員)から、初代区長の話を幾度も聞いており、ぜひそのご家族に会いたいと願っていました。
その願いが実現し、2019年5月に、村瀬清氏のご子息お二人と会うことができました。そして、ご長男の廣さんが父上の死後、父上の支援者と共にまとめた小冊子『道』1952(昭和27)をいただきました。
この小冊子には、母上が保存していた父上に関するものと千代田区の行政関連の記事が多く、「美しいまちづくり計画」についての記事もありました。

廣さんは「父は国家レベルで千代田区のことを考え、区民のことを思っていた人でした」と、次男の康さんは「自分の父親でしたが、とてもオーラのある人でした」と語り、お二人ご自慢の父上でした。

出身は長野県大町

村瀬氏は1903(明治36)年、長野県大町市生れ。
1926(大正15)年に東京帝国大学法学部政治科、1929(昭和4)年高等文官試験合格を経て、東京市の社会局勤務など首都社会への現実への取組を経て、1943(昭和18)年東京都制がはじまり、総務局企画課長、計画局都市計画課長も担当しました。

神田区長から千代田区長へ

戦後は1945(昭和20)年12月に神田区長就任。
1947(昭和22)年に、35区から22区に整理統合され、神田区と麹町区が合併し千代田区が誕生し、村瀬清氏が初代区長に就任しました。
村瀬氏は3期を務め、1966(昭和41)年63歳で病のため亡くなりました。

区長の夢「美しいまちづくり」

1955(昭和30)年12月21日の毎日新聞に「千鳥ヶ淵と九段には桜並木」と題した役所の計画についての記事があります。
記事には、「千代田区では皇居周辺一帯を都民の憩いの場所とするため、5年前から内堀周辺の整備を行ってきたが、その一環として来春早々工費200万円で次のような美化工事を行うことになった。」とあり、このことからも桜の植栽は千代田区で計画的に行われたことが判断できます。

さくらの植栽の理由

私は戦後の暮らしを調べるにつけ、村瀬氏は東京の景観美だけでなく、経済活性化を考慮し、また国民の心を癒し、失った命への鎮魂花、平和の象徴としての桜を植えたのではないかと考えるようになりました。
その桜の景観は、多くの人々の心を癒やし続け、今や世界的な注目を浴びています。

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